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福岡高等裁判所 昭和39年(く)15号 判決 1964年6月13日

被告人 松本健男

決  定

(被告人氏名略)

右被告人に対する道路交通法違反被告事件について、昭和三九年六月二日熊本地方裁判所がなした勾留の決定に対し、同月三日右抗告人から抗告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告理由の要旨は、熊本地方裁判所は昭和三九年四月二八日被告人に対する道路交通法違反被告事件につき公訴の提起を受け、同年六月二日第一回公判期日を開き、該期日において右事件に対する公判審理を終り、同日午後三時五五分頃即決をもつて被告人を懲役二月に処する旨の判決言渡をなし、その後被告人を勾留する旨の告知をなした上、同日午後五時頃勾留状を発布して被告人を勾留した。しかしながら裁判所が被告人を勾留し得る場合は、刑事訴訟法第六〇条第一項所定の事由が存する場合であつて且いずれも公判審理前及び公判審理中に限られ、裁判所の被告人に対する勾留の権限は当該事件につき判決言渡をなすと同時に失われるものと解すべきであるから、原裁判所が被告人に対しなした本件勾留の決定は、法令に基く権限なくしてなされた違法のものである。なお前記被告事件は、もともと在宅事件として起訴され、被告人は公判期日においても一回の欠席もなく出頭しているものであつて、住居も一定し父母、弟妹らと共に生活し、且犯罪事実についてもすべてこれを認めているのであるから、原裁判所に勾留の権限があるとしても、勾留の実質的理由の存在につき了解に苦しむところである。

よつて本件勾留の決定は法令の根拠なくしてなされた憲法第三四条に違反する違法なものであるから、速かに取消さるべきであるというのである。

よつて右被告事件の記録につき調査するに、被告人に対する本件道路交通法違反被告事件は、昭和三九年四月二八日及び同年五月二八日の二回にわたり、いずれも在宅のまま熊本地方裁判所に公訴を提起され、その担当裁判官安東勝は同年六月二日の公判期日において、右両事件を併合して公判審理を終結し、同日午後三時過頃被告人を懲役二月に処する旨の判決言渡をなしたこと並びに同裁判官は判決言渡の直後法廷において、被告人に対し刑事訴訟法第六〇条第一項第二号、第三号により被告人を勾留する旨を告げ、同日午後五時頃前記道路交通法違反被告事件の公訴事実につき、同条第一項第二号、第三号所定の理由があるとして勾留状を発布し、被告人は右勾留状により身体の拘束を受けていることを認めることができる。

そこで本件の如く既に本案事件につき判決言渡があつた後、原裁判所が新たに被告人を勾留する権限があるか否かについて検討することとする。

刑事訴訟法第六〇条第一項は、裁判所が被告人を勾留し得る場合の要件につき規定しているが、同条項にいう裁判所とは、公訴の提起を受けたいわゆる訴訟の係属する裁判所を指すものであつて、裁判所が公訴の提起を受け本案事件につき判決言渡をなした後においても、その判決が確定するまで又は上訴の提起により事件が上訴審に係属するまでの期間内は、なお事件は原裁判所に係属するものと解するを相当とするので、原裁判所は同条項にいう裁判所に当るものというを妨げないから、同条項各号所定の理由が存する限り被告人を勾留することができるものといわざるを得ない。而して抗告人主張の如く裁判所の被告人に対する勾留の権限は、終局判決の言渡により当然失われるものと解すべき法文上の根拠に乏しいのみならず、元来公訴提起後に被告人を勾留する目的は、裁判所の公判の審判のため被告人の身柄を確保すると共に併せて裁判の執行を確保するにあるので、右の目的に鑑みても受訴裁判所は終局判決言渡後、前記期間内においては同条項の要件をみたす限り、被告人を勾留することができるものと解するを相当とする。

更に同条第一項に「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由がある場合」と規定したのは、勾留の要件として犯罪の嫌疑が客観的に肯認できる最少限度を示したものであつて、終局判決によつて犯罪事実が認定され明白となつた場合を含まない趣旨であるとは到底解し難く、むしろ犯罪事実が明白な場合は一層勾留の要件がみたされたものと解すべきであるから、右法文の辞句は、何ら裁判所が公判審理前又は公判審理中に限り勾留権限を有するものと解する根拠となすに足りない。もつとも刑事訴訟法第九七条第一項は、「上訴の提起期間内の事件でまだ上訴の提起のないものについては、勾留の期間を更新し、勾留を取り消し、又は保釈若しくは勾留の執行停止をし、若しくはこれを取り消すべき場合には、原裁判所が、その決定をしなければならない。」と規定し、一見裁判所が本案事件につき判決言渡をなした後その判決が確定するまで又は上訴の提起により事件が上訴審に係属するまでの間における勾留に関する原裁判所の処分権限の範囲を限定したかの如き観がないでもないが、右規定の趣旨とするところは、既に勾留状が発せられている被告人の身柄の処置について同規定所定の如き処分を必要とする場合における原裁判所のとるべき処置を明らかにしたものに過ぎず、むしろ当然の事理に属するところであつて、原裁判所に被告人を新たに勾留する権限がないことを裏づけたものとは到底解することはできない。

なお抗告人は、本件被告人の勾留の必要性の不存在につき論及するので、按ずるに被告人が本件公判期日に一回不出頭もなく出廷し、一定の住居にその家族と共に生活し、なお犯罪事実もすべて認め一応証拠調も終了し、一審において有罪の判決があつたことは、一件記録に徴してこれを認め得るところであるけれども、記録に現われた諸般の事情によると、なお刑事訴訟法第六〇条第一項第二号第三号所定の事由が全くないとはいえないので、右主張も理由がない。

してみると、原裁判所が被告人に対し刑事訴訟法第六〇条第一項第二号、第三号の事由ありとして、被告人に対しなした勾留の決定には、法令の根拠なくして憲法第三四条に違反してなされた違法があるものということはできないので、右勾留の取消を求める本件抗告は理由がないものといわざるを得ない。

よつて刑事訴訟法第四二六条第一項後段に則り本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 岡林次郎 天野清治 平田勝雅)

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